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自己紹介 れお

FREE CAMP代表 れお

こんにちは。FREE CAMP代表、野田れおです。
ここでは、かなり詳しく、自分のことです。
長いので本当にお暇な時に読むことをおすすめします。笑

❶ 生まれ

愛知県一宮市生まれ
両親小学校の教師、二人の姉がいる末っ子長男。

母は自立心や批判的思考強めな女性で、当時としてはめずらしく0歳から保育園へ預けられる。父もマイノリティに共感したり、既存の権力構造や形式的な不自由に対抗するのが好きな人。

こう書くとなんか強い両親っぽいけど、
よく話を聴いてもらったし、自立した一人として温かく育てられたと思う。

家事もすべて役割分担制で、小学生のぼくの仕事は洗濯干し。家の前を同級生たちが登校していくのを見下ろしながら、ヤベー急げーとか思いながら、家族の洗濯を干して走って登校。みたいな日々。(見られたら恥ずかしいから少し隠れて… 笑)

休みの日はディズニーランドとか全くなく、
山に行く。5歳で富士山登る。(よく連れてったな…苦笑)

「子どもらが独立したら沖縄に移住するからー」と毎年のように沖縄旅行もあり。それもリゾートでのんびりじゃなくて、沖縄戦のガマに行ったり、辺野古の基地建設予定地を見に行ったり、両親の知り合いに会いに行ったり…。そんな沖縄旅行。

❷ 青年期まで

98年フランスW杯が小5、2002年日韓W杯が中2。
ばっちりその波に乗って、小学校高学年から中・高と、
どっぷりサッカーの日々。

小学校の時は、
習い事で忙しい同級生たちを束ねて(習い事をサボらせて)、放課後の校庭で毎日サッカー。サッカースクールに通わせなかったのがうちの両親っぽい。

中学・高校では、
ガッツリ体育会系のサッカー部。
先輩後輩の理不尽さや、ああ大人(コーチや監督)もそこは全然助けてくれないのね、みたいな感覚や、
その中でどう立ち振舞ったら、理不尽に屈せずかつ自分が楽しくサッカーできるか。

まずは、顧問にめんどくさいことを言われないように、テストの点数は取っておこう、特に顧問の担当教科英語は。みたいな…
そんな感じの青年期。

それでもフィジカル面は、
毎朝朝練から1500m走を3本走ってた、あの時の貯金が今でも残っている。全国大会に出たらすげーことがあると完全に信じて、仲間と走り続けてた日々は、青春だったなと思う。

結果は県ベスト4が最高で、すべてが終わってからの、あれ?なんでそこまで一生懸命になれたんだ?って気持ちと共に、サッカーはやり切った。

❸大学

高校サッカーの最高峰は冬の選手権なので(正月テレビでやってるやつ)高3の冬まで部活をやっていた。
そのまま浪人するつもりだったが、秋口に教室に貼り出されていた指定校推薦の一覧に行きたい大学があったので応募。

運良くだれとも競合せず、そのまま受験勉強もせずに大学へ。
大学は京都の立命館大学。

京都で一人暮らしが始まり、サッカー以外の刺激を求めて、学外のキャンプ団体にボランティア登録したのが今の仕事のきっかけ。

実際はキャンプ団体には、まともに参加せず、
サークル立ち上げたり、自治会の活動に参加したり。

社会学、社会福祉学の専攻はすごくおもしろく、
平和って?平等って?いい社会って…何?みたいなことを考えるのが楽しかった。
ホームレス支援のNPO活動にヒアリングしたり、高齢者施設の聞き取り調査の日々も面白かった。
図書館が閉まる22時まで大学にいて本読んだりレポート書いたり。そのあと大学の近くの定食屋で仲間とあれこれ議論して。
ほんと、いい時間だった。

そして、大学3年になった春、急に「就活」の波がやってきて、職業選択を迫られる。その圧力が気持ち悪くて、
その波に乗っていく周りの雰囲気もなんか気持ち悪くて。
「社会人として」とか「社会は甘くない」とか言われて…

あれ?
その「社会」について学んできたんだけど…
いろんな課題や難しさや矛盾を抱えてる、
変えていった方がいいこともたくさんある。

その社会ってどう変わっていくんだろ?
ってことに興味があるんだけど。

まずは動かな変わらんくない?
ここで就活して初任給がどうとか言い出したら変わらんくない?

あれ?
でも、そもそも今のおれが考えている「いい社会」って、本当にいい社会なのか?うまく就活に全員がのっかれた方が幸せなのか?

あーだめだ、いろいろ間に合わない!

ということで、
3年生が終わった春からの1年間を休学することに、
いろんなコミュニティ、いろんな社会をみたい。

できれば、今の自分が全く知らない社会をと思い、1年間海外を放浪することに。お金もなかったのでアジア中心、時々オセアニア。

ニュージーランドでヒッチハイク中に荷物をすべて盗られたり、エベレストのベースキャンプまでトレッキングしたり、チベットでこれまたヒッチハイク中に交通事故に遭ったり、バンコクでほとんど鬱状態で2週間くらいベットの上にいたり。

いろんな人に優しくされて、いろんな景色に心救われて…。

1年使った結論は、
いい社会の条件は、
自分が誰かにやさしくできるか、
誰かにやさしくされてるって実感があるか。

経済状況も政治体制も、社会政策も社会制度も、
直接的には「いい社会」には関係ない。
そこにいる人が、どうか。それだけ。

って気づいた時に、
その時たまたま宿が一緒だったフランス人に、
「来週から20分に1人死んでしまう国にいくのが億劫だー」みたいな話しを聞かされて…

アフリカか南米のスラムのことかと思いきや、
日本の自殺者数が20分に1人だって話で、

衝撃を受ける。
それで、帰国。

どんな風に生きていこうか、どんな風に仕事をしようか。
条件は、
自分が誰かにやさしくできて、
誰かにやさしくされてるっていう実感を持ちながら働けるか。

社会がどう変わるのか、わからないけど、
「社会人として」とか「社会は甘くない」って言う側にならないこと。

❹ 京都での20代

選んだ仕事は、キャンプ団体の職員。
仕事と言ったが、ほぼタダ働きでキャリアスタート。
事務所の2Fを住居として寝泊まりして。
それでも24時に閉まる近所の銭湯を逃してたから、
何をやってたのか。とにかく働いてた。

やってることは面白い。
経済的な矛盾はあるものの、
自分で考えることができる人を育てる。

そのための体験を作る。
その体験が生まれる場を作るため、
自分の立ち振る舞い、かける言葉、リアクション…
突き詰めると、結局、自分の在り方が問われる。
どう在りたいのか、どんな風に歳を重ねていきたいのか…
この仕事は今でも面白い。まだまだ奥は深い。

けどやっぱり、
ちゃんと稼がないと社会的な発言権もないし、自分もいつか続けられなくなる…!

自分で稼ぐために、まず今ある形を横展開しよー
と思い、2年目で神戸校の立ち上げ。
手探りで試してもがいていた4年目に、福岡校の話をもらう。神戸を引き継いで、福岡でプログラムを始めたのが2015年27歳。

福岡が軌道に乗り始めた2017年に完全に移り住む。

もちろん自分自身も必死で何かを掴もうとしたが、本当にうまいこと挫折させつつ成功させつつ、うまく育ててもらったなあと思う。

❺ 福岡での30代

ある程度、自由にやれるようになったので、
そろそろ横展開ではなく、
やってることの矛盾にちゃんと向き合いたいと思い、

2020年2月にFREE CAMPを設立して、独立。
設立1ヶ月でコロナ突入、創立以来のピンチ到来。
それでも、ゆぐ、キャプテンを始め、
仲間もいたので楽しく乗り越えている。
2021年、福岡の会社に就職してこっちに来てくれた彼女と結婚。

❻ これから

FREE CAMPはもっとおもしろく「経営」したい。
経済規模を大きくするのではなく、もっと親戚みたいなコミュニティに。

「お金のために」という呪縛から解放されたところで。

誰かにやさしくできて嬉しい、誰かにやさしくされている実感がもてて嬉しい。そんな場の中で、人が育つ。
という状況に向けてチャレンジしていく。

同時に個人としては、
食べる寝るといった「暮らし」をもっと味わって楽しみたい。
ここまであまりにもファストで、暮らしを顧みずに働きすぎた。
この辺は、まだまだ漠然としています。

子どもたちとの現場もまだまだ奥が深い。
仲間や学生を巻き込んでどうおもしろくしていけるか。
まだまだ試行錯誤の日々。

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