人が育つ場ってどんな?を考える|サポーター配信
サポーターの皆さん
サポーターの皆さん、いつの間にか2024年もあと2週間ですね。
急に冬っぽくなってきて、体調管理が難しいですね…
さて、FREE CAMPの近況です。
ざっくり言うと、
・冬休みプログラムの準備と
・通常のThe DAIGAKU&週末プログラム、
これに加えて、
・次年度に向けた動きもあり…
バタバタしております。
まもなく冬プログラムが始まりますので、
準備段階で考えていることを改めてまとめてみます!
別にスキーを上達させたいわけではない
この時期になると、学生メンバーの中から、スキーチームを募集して結成します。
スキープログラムでスキーを教えるメンバーです。
実は数年前は、スキー場のインストラクターにスキー指導の部分を依頼していました。が、インストラクターさんによってはむっちゃ下手くそなんです。苦笑
いや「スキーを上達させる」という部分に関しては、
OKなのかもしれませんが、
・ゼッケン番号で呼んだり、
・効率よく教えること優先でスキー的には意味のなさそうなカニ歩きで登らせることを練習してたり、
・あまり気持ちが扱われなかったり。
僕らは、別にスキーを上達させたいわけではないんです。
これは、人を育てる・人が育つ環境って何か?
みたいな問いと直結しています。
基本的に、
その人自身に、「良くなっていく力」を持っていると思っています。
その力を過不足なくサポートすること
過不足なくサポートできる環境が、人が育つ場だというイメージです。
それで言うと、
スキーをもっとうまく滑りたい!とその人が思ったら、聞いてきたり、周りをよく観察してみたり、自分で練習したりする。
そのタイミングで初めて、
「こうしたらいいかもよ。」
「こんな感じにしてみたら?」
のアドバイスをしたり、
うまくいかずに転んでいるのを起こす手伝いをしたり、
スキー板を運んであげたり、そんなサポートができる。
このタイミングを待たずに、あれこれ言ったり、やらせたり。
これは過剰。
逆にこのタイミングで、見守るだけで手を貸さないのは、不足になるかも。
この見極めがむちゃくちゃ難しい。
でもすごく面白いから、学生たちを巻き込んでいます。
教える側の過剰になりがち
できるようになったら面白い!を体験していたり、その人のためになる!と信じているから、親切心や心配する気持ちで、どんどんアドバイスしたり、手を貸したりしてしまいがち。
その人がまだ「心の底からやりたい」という気持ちが湧き上がってない状態で、進めてしまう。
それでは、仮に「できる」ようになっても、楽しめてなくて嫌いなものになってしまったり、そもそもできるように、ならなかったりする。
「教える側」はどうしても過剰になりがち。
「見守る」が大切。と、自然保育や僕らのような領域の子育て論でよく言われるのはこのためです、きっと。
上手な動機付けのタチの悪さ
個人的に、教えすぎ・過剰よりも、もっとタチが悪いのが、
あれこれ上手に動機付けをして
「やりたい」を上手に誘導してしまうこと。
うまく動機付けできる人が「良い指導者」とされている節があります。
もちろん体験を作る上で、ある程度の動機付けは必要なんですが….
教えられる側の本人が、
自分が本当に求めてるのは何?
をゆっくり考えるチャンスが与えられない。
うまく動機付けられることが続くと、
誰かがやれって言ったことを上手にやる力は付いても…その誰かがいなくなってしまった瞬間に、
あれ?なんのためにやってたんだっけ?
何が本当はしたいんだっけ?
と迷子になってしまいます。
良くも悪くも(民主主義的には良いはず)、強い指導者や、こうあれば幸せになる!という正解はもう無くなってきています。
・自分がどうありたいか、
・自分は何がしあわせなのか、
・自分のいのちをどんな風に使いたいのか、
動機付けの上手い「良い指導者」やCMやSNSのショート動画に誘導されている場合ではないんです。笑
そして、僕らも「良い指導者」になるつもりはないです。
うれしい、悔しい、ムカつく、楽しい…
その時に湧き上がる感情に寄り添って、
どうしたい?を聞き、過不足なくサポートする!
これが、僕らが目指している関わり方です。
さあ、まもなく冬休み!
今年度は、延べ140名ほど参加してくれます!
事故なく、楽しく行きたいです。
あとはちゃんと雪が積もってくれたらなぁー
サポーター向けの近況配信、次回は、年明け1月上旬にお届けします。