むずかしいから面白い。中途半端な成功体験より安心して失敗できる場を!
失敗できない症候群
FREE CAMPでは、多くの大学生が活躍してくれています。
30名ほどのメンバーが所属し、週1回の定期ミーティングで勉強会をしたり、ほぼ毎週末実施されるプログラムを共に運営したりしています。
ある意味、今の学校教育システムの出口の大学生。
大学生と関わっていて、気づくことがあります。
それは、
失敗できない人、増えてない?!
- 失敗を恐れる。
- なぜかできること前提で取り組んで、失敗に心挫ける。
- 「私がやってもできないから迷惑かと思って」という申し出があったりする。
ダメな人たちだ!なんていうつもりはなく、
むしろ、個性豊かでとても賢くて、とっても素敵な人ばかりです!
けど、この傾向はなんだ?
- できなくて当たり前なのに
- 逆になぜできると思ってるんだ?
というのが、正直な疑問。
だれもそこまで期待もしていない…のに。
失敗してなんぼだし、失敗していいのに。
会社の後輩、同僚に思うことありませんか?
見え隠れするのは「失敗経験の少なさ」
そもそも失敗は「成功のもと」だから、
失敗して成長するのに。
充分に失敗できていないのでは?!
そうだとしたら、こうなってるのでは?
① 大人が見過ぎ説
大人に「ちゃんと」見られ過ぎ。
周りの大人がちゃんと見過ぎ。
つまり、子どもだけで放って置かれる場が少ない。
大人が見すぎてて、かつ、手を貸しすぎ。
なのかも?!
気になるから、なんでもかんでも手を出し口を出してしまう。
「暑いんだから脱ぎなさい!」
「お弁当逆さになるからカバンはまっすぐおく!」
「汚れるからやめなさい」
見てるし、近くにいると、つい言ってしまいますよね。
けどたぶん…
子どもは、勝手に脱ぎます。
暑い!→なぜだ、どうにかならんのか…
と考えられたら。
うわ、お弁当がぐちゃぐちゃや!最悪!嫌なら…
勝手に気をつける様になります。
汚れて気持ち悪い。着替えがない…最悪や。
経験したら、勝手に気をつけます。
どれも、そのことに気づいていないなら、
まだやらせておいた方がいい(失敗させていい)と思うんです。
この説が正しいなら、
「見ないようにすること」がわが子を育てる。
② 「成功」しすぎ説
もう一つは、
何かやったことないこと・ドキドキすることに挑戦したときに
「成功」しすぎ。なんじゃない?という説。
できないことは、できなかったでOK。
「(あなたが)チャレンジしたことが嬉しいよ。」
って伝えられていない。のでは?
周りの大人がお膳立てして、「成功」させすぎていたり、
失敗してるのに、なぜか「大丈夫大丈夫!できてるよ」とか言われて、「うやむや」にされているのかも。
体験から学ぶことを理解している保護者や指導者との間の中でも、よく「成功体験さたい」と言う言葉を聞きます。
成功体験の罠
確かに、このチャレンジを経て、
次にチャレンジを続けてくれるか、
心折れてやめてしまうかは、
成功するかどうか。これは重要です。
成功したら嬉しいから、もっとチャレンジしてくれるでしょう。
ただ、
失敗も含めてそのチャレンジを楽しむ力。
の方が大事です。
「成功体験」を経て、付けたい力は、これのはず。
中途半端な「成功体験」さられすぎた結果、
(できなくて当たり前なのに)「できないこと」を怖がってしまう。「できる」と過信してしまう。
それでは、意図していたこととは逆のことになってしまいます。
必ずしも「成功」しなくてもいいんです。
実際、チャレンジした時に成功することなんて、あんまりないんだから。
(そんなに簡単に成功したら、世界がおもしろくなくなってしまいます!)
その体験(結果)に、成功と同じくらい価値があります。
この説が正しいなら、
わが子の失敗を怖がらず、
一緒に悔しがって、一緒に悲しむ覚悟を!笑
失敗だった、悲しい・悔しいっていう体験も、
近くで「いやだったね。」「悔しいね。」と本当に涙流すくらい一緒に悲しんだり、悔しがったりしてくれる人がいたら、きっと大丈夫。
まとめ
「失敗できない人」が本当に増えてるのかどうか。
「失敗体験」が不足しているのかどうか。
統計を取ったわけではいので、定かではありませんが…
「失敗しづらい」「成功体験を切望しすぎ」
は、感覚的にあります。
失敗も成功も、共に喜んで、共に悔しがる、そんな場が人を育てると思います。
失敗して悲しんでたり、悔しがったりしているなら、「大丈夫、大丈夫!できてるよ!」(失敗の否定)じゃなくて、「悲しいなぁ、〜ができなくって嫌な気持ちなんだね。」
そんな関わり方を目指しています。
「失敗するからおもしろい。」
そんな大人に育ってほしいです。