ウルトラマラソン(100km)チャレンジしました|ゆぐ
こんにちは。ゆぐです。
2023年12月。僕にとって大きなチャレンジをしてきました。
何人かの保護者には直接聞かれたのですが、この場をお借りして改めて報告させてください。
時系列でお話しします。
どうしてチャレンジしたのかはこちらをご覧ください。
大会が当日のYouTubeを公開していたので雰囲気掴みたい人はこちらもご覧ください。
- 不安とわくわく、そしてトラブルの大会当日朝(スタート直前)
- お祭りマインドで気持ちよく走る(0~20km)
- 体の異変に気づく&心が折れる(20~40km)
- 心が何度も折れる(40~60km)
- 無心で走る(60~80km)
- 希望:ランナーズハイ(80~90km)
- 絶望:ハンガーノック。そしてゴールへ(90~100km)
- 満身創痍、そしてゴールの実感(大会後)
- 最後に(次のチャレンジ予定)
不安とわくわく、そしてトラブルの大会当日朝(スタート直前)
2023年12月18日(日)
沖縄県で大会はありました。
スタートは午前5時。僕は午前2時半に起きて大会の会場へ向かいました。
不安半分。わくわく半分。
いや、楽観的な僕は不安3割、わくわく7割でした。
会場までは無料送迎バスで向かいます。
…の予定が、ここでトラブル発生。
なんと、送迎バスは要予約だったことが判明。
ホテルを出発する前に気づけたのでよかったですが、気づいていなければ沖縄市内でバスに乗れずに取り残され、出発できない危機でした…
出発前にリタイアにならなくて本当によかった…
結局サポーターとして同行したジャンプに急遽借りたレンタカーで送迎してもらい、一件落着。
会場に到着すると500人を超える参加者が…!
(683人だったそうです)
想像よりも人数が多く、しかも全員強そう…!(笑)
受験などで経験したことがある人も多い、あの周りがすごそうに見える現象が起こり、
僕は会場の隅っこでひっそりと準備していました。
一方で、お祭り好きなのでテンションはひそかに向上。
これから一緒に戦う仲間みたいな感情が早くも芽生え始め、わくわくも大きくなりました。
午前5時。ついにスタート!
お祭りマインドで気持ちよく走る(0~20km)
スタートして1時間くらいはとにかく前も後ろも人が多い!
適度に追い抜きつつ、適度にペースを合わせつつ、
テンションも上がっているので、
想定ペース(6分/km)より早く走っていました。
写真でも分かる通り、
カメラ目線で笑顔を向ける余裕もあり。
登り坂も意外と多く、歩く参加者も多い中、
『おれは若いから元気だぜ!』
みたいな無敵メンタルで、登り坂を走り、ごぼう抜きを楽しんでいました。
体の異変に気づく&心が折れる(20~40km)
異変に気づいたのは30km付近。
どんどん足が重くなったような感覚がしてきて、動かしづらくなってきました。
たくさん運動したときに起こる、乳酸が溜まっているような状態です。
練習で50km走ったときにもそういった状態にはならなかったので、だいぶ焦りました。
とにかく足が重い重い。
しかもゴールまでは残り70km。
ここまでの距離の2倍以上残っており、ここで心が一度折れました(笑)
今できることは
・できるだけ疲労を溜めないこと
・できるだけ疲労を回復すること
だと考えたので、
登り坂は無理に走らず歩くように、
チェックポイントでできるだけエネルギーを取るように、
なりました。
写真はそのときの様子です。
30km~40km間はペース的にはそれまでと大きく変わっていないのですが、
この10kmの体感時間はとても長かったです。
心が何度も折れる(40~60km)
ここらへんは体はもちろん、まだ半分以上あって心もきつかったです。
補給地点で休憩してから出発するときに憂鬱な気持ちになるし、
歩いて休憩しようかなとかも頭をよぎるけど、
そんなことをすると制限時間に間に合わなくなるので走るしかないし。
写真も補給地点を出発するときの写真ですが、きつそうな顔をしてますね(笑)
補給地点が2~3km毎にあるのですが、補給地点が見えるとホッとして、出発するときに憂鬱な気持ちになる。
走っているときも、呼吸器系は大丈夫でも、体が悲鳴を上げている。そんな状態でした。
無心で走る(60~80km)
無心で走ると聞こえは良いですが、正直、全然記憶がないです(笑)
次の補給地点を確認したら、ひたすらそこを目指して走る。
考えていることは「あと〇分で補給地点のはず」だけ。
そして、時間を決めて休憩して、また次の補給地点を目指す。
それだけをひたすら実行する3時間でした。
希望:ランナーズハイ(80~90km)
このあたり、なぜかとても調子がでてきました。
体は相変わらず痛いし、登り坂は走れない。
でも、平地や下りで他の参加者をごぼう抜きできてしまう。
そして、走るペースもなぜか速い(後半50kmで一番速かったです)
ランナーズハイがここにきてやってきたのか。
とにかく覚醒していました。これはここまで心を折られ続けた僕にはとても希望でした。
このタイミングで、今回のコース一番のビューポイントも走り、気持ち的にはだいぶ救われました。
「絶好調!このまま一気に100km走りきろう!」
このときはこう思っていました。
絶望:ハンガーノック。そしてゴールへ(90~100km)
異変に気づいたのは93km地点ごろ。
走っていたら視界がポワポワして、焦点が合わない感じになりました。
ハンガーノックです。
ハンガーノックとは簡単に言うと『極度の低血糖状態』です。
マラソンや自転車、登山など、長時間エネルギーを使う活動をしていると発症しやすいです。
僕は、低血糖になりやすいので気をつけて補給をしているつもりだったのですが、後から振り返ると摂取しているのは水やスポーツドリンク、果実などだけでした。
エネルギーになりやすいパンやおにぎりは、口があまり受け付けなくて取っておらず、持ってきたゼリー飲料もすでに消費してなくなっていました。
補給地点では水とお菓子を食べながら、イスに座って休憩するのがルーティンで、補給が少ないのは少し気になってはいたのですが、ギリギリゴールまで保つかとたかをくくるっていました。
そのツケが回ってきました。
視界が気持ち悪くなったので、道路の端に座って、急いでコンビニで買ったゼリー飲料を摂取しました。
すぐには回復しないので、そのあと3~4kmはゼリー飲料をゆっくり飲みながら歩いてゴールに向かっていました。
最後まで歩いてゴールしようと思っていたのですが、100kmに近づいて、追い抜く参加者たちがゆっくりだけど、走っているのを見て、
「最後は走ってゴールしたい!」と思い、ラスト2kmは走りました。
そしてついにゴール。
満身創痍、そしてゴールの実感(大会後)
ゴールの瞬間、泣くかな、どんな気持ちかな、とかずっと思っていましたが、
「終わった~…」しか考えられなかったです。
一度ゴールすると、もう脚が固まってまともには歩けなかったです。
筋疲労だけでなく、普通に膝やふくらはぎ、足の裏などをおそらく怪我をしていたので、大会翌日もほとんどベッドの上から動けませんでした。
大会2日後にゆっくり歩けるようになる。
大会3日後に足を引きずらずに歩けるようになる。
大会1週間後にジョグくらいで走れるようになる。
大会2週間後にダッシュできるようになる。
病院には行きませんでしたが、後遺症はひどかったです。まさに満身創痍でした。
ゴールの実感は大会が終わって、友人や知り合いからメッセージをもらったときや、福岡で直接会ったときに大会のことを聞かれて、
「ああ、本当にゴールしたんだな」みたいな実感が湧いてきました。
「おれはやったぞー!」みたいな誇らしい気持ちというよりは、
「本当に自分が達成できたのか」みたいな、夢が終わったみたいな感覚です。
そういう意味では今でも実感はないです(笑)
ちなみに余談ですが、走る人、頑張る人たちに対するリスペクトが止まらなくなって、正月は箱根駅伝を見て涙ぐんでいました(笑)
最後に(次のチャレンジ予定)
次に他の大会に出るのかはまだ迷っています。
ただ、きつかったことはすぐに忘れちゃうタイプなのできっとまた走ると思います。
個人的には、早くトレラン(トレイルランニング)の世界に行きたい…!
ここまで書いてきてビッグニュース
ウルトラマエストロチャレンジが2024年12月31日で終了
とのこと!?
ということはこの2024年に残り3回完走するしかなさそうです。
ここに書いたらやるしかなくなるので、ここで宣言しておきます。
ウルトラマエストロ目指して引き続き頑張ります!!!
長くなりましたが、ウルトラマエストロチャレンジ第一弾の活動報告です。
「なんか変なことをやってるから応援しようかな」
「自分もなにかやってみようかな」
「なんか元気出たな」
みたいな気持ちで見守ってもらえると嬉しいです。
こんな僕ですが、引き続きよろしくお願いします!
FREE CAMP ゆぐ
ご意見・ご感想、お待ちしております。